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イカロスメール

  

支配者の地図と民衆の地図


メールイカロス No.489
発行:(株)マイチケット 2011年12月19日 トラベルメールマガジン

 「支配者の地図と民衆の地図」

 今年の9月に「アジア太平洋農耕文化の会」の「紅河流域の自然、民族、稲
作を訪ねる北ベトナムから中国雲南省へ至る旅」に同行した。ベトナムのハノ
イが位置する紅河デルタから遡り中国昆明に至る旅である。この旅には Seed
to Table の、伊能まゆさんが同行しベトナムの農業についての案内を担当した。
伊能さんはベトナムでの暮らしが10年を越え、農村や少数民族の暮らしにも
詳しい。
 この伊能さんがツアーに参加者した田中貞輝さんに謝ることになった。頭を
下げた伊能さんに、田中さんが「いや、まあまあ、あなたのせいではありませ
んから」ととりなしたのだが、伊能さんが謝る理由は、200年前の出来事に
さかのぼる。伊能さんは実は日本史に登場する伊能忠敬の末裔だったのだ。
 10年前の映画、加藤剛主演の「伊能忠敬 子午線の夢」に描かれた伊能忠
敬像は、時には地元の藩の妨害を受けながら10数名の隊員が艱難辛苦の末に
大日本沿海輿地全図を完成するというイメージである。ところが、田中貞輝さ
んが語る伊能忠敬像は映画とは大いに異なる。田中さんのおじいさんは宇和島
藩領高山浦で庄屋をしておられた。田中さんはそのおじいさんが残した古文書
を読み込んで「宇和島藩領高山浦幕末覚え書」という本にまとめている。本の
中に伊能忠敬による測量の様子に触れた部分がある。『・・・実際の文化5年
(1808年)の高山浦測量の場合は、幕府からの隊員は16名でしたが、総
勢900名を越える、近隣(同じ城下組代官所管内)の村浦の、庄屋村役人を
始めとする人々が狩り出されて居るのです。しかもその費用の多くは地元負担。
それが行く先々の浦々で繰り返された事なのです。』
 伊能まゆさんには気の毒な話しだが、ご先祖様の所行は村にとっては大迷惑
な、チーム伊能による官製測量プロジェクトだったことになる。

 地図はいつの時代も、権力者にとって民衆支配と戦争の道具であった。
・・・明治初期から第二次世界大戦終結まで、日本がアジア・太平洋地域につ
いて作成した「外邦図」。陸軍が中心となり、戦争と植民地統治の「道具」と
して、朝鮮、中国、東南アジアと進出に先駆けて作られた。その手段は、複製、
秘密測量、空中撮影であり、現地での衝突も少なくなかった。・・・・
 これは中公新書「外邦図 帝国日本のアジア地図」の一文である。戦場ある
いは戦場になることが予想される地域の地図は軍事情報そのものであり、第
二次世界大戦終結時には大量に焼却されている。
 インターネットの時代になってもこの事情は変わらない。グーグルマップを
詳しく見ると沖縄やハワイの米軍基地の上には雲がかかって目隠しされている。
アメリカの地図だからだろうか皇居には雲はなく建物の詳細まで見ることがで
きる。

 戦争と植民地統治の道具とされてきた地図製作の技術を、民衆自身の手に取
り戻すための活動が北タイで始まっている。
 「Link・森と水と人をつなぐ会」は、北タイのチェンマイ県北部ホアファイ
村などで立体地図の作成とGPSを使った地図作成の支援をしてきた。今ではタ
イ人スタッフだけでGPSを使った森林の測位に行ったり、地図の作成もあらか
たできるようになった。その成果として、村人が利用する森の範囲を地図で明
示して森林局や国立公園局と交渉し、その利用が事実上認められている例がで
はじめている。彼ら自身が作成する地図が、森林破壊による環境被害を明らか
にする道具となるただけでなく、これからの村おこしに役立つ道具ともなるは
ずだ。多くの村でも地図作成への要望が高まっている。
 Linkの呼びかけで3月に実施される「タイ農村スタディツアー 新しい自
分の出発点」では、このホアファイ村を訪ねる。


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